歴史を歩く(7)越すに越されぬ田原坂

 明治10年3月4日、歩兵14連隊は田原坂を攻撃、薩軍は強固な陣地をもってこれに応戦した。征討軍である官軍は田原坂を抜けられず、向かい側の二俣台地を占領したにとどまった。ここに日本合戦史上、稀有な激戦と言われる田原坂攻防戦の幕が切って落とされた。戦闘の状況は「新編西南戦史」(陸上自衛隊北熊本修親会編)を参考にしたものである。

 田原は標高100メートルほどの小さな丘陵地帯である。高瀬から植木に抜ける道が尾根伝いに通っていたが、博多から熊本まで大砲を牽引して運べる道幅があるのはこの道しかなかった。ここを突破できれば官軍は薩軍に包囲されている熊本城まで一気に押し寄せることができる。まさに戦略上の要地であり、薩軍が陣を固めた所以である。

 平成27年3月中旬の日曜日、熊本駅から9時20分発の鹿児島本線鳥栖行きに乗車した私は、9時37分には田原坂駅を下車、県道31号線を越え、そこから東に延びる上り坂を歩き、400メートル程先の四つ角を左に曲がった。田原坂の中心部に突入である。しかし、往時の面影はあまり感じられない。戦場とは程遠いのどかな道である。昔はうっそうと樹木が覆っていたらしいが、空が見える明るい道だ。当時を想像できないまま、歩くこと20分、左手に田原坂西南戦争資料館が見えてきた。近くには、たくさんの弾痕が残っている土蔵がある。まさか往時のものではあるまい、と思って資料館で調べると、昭和63年に当時の写真を参考にして再現されたものだという。それにしてもリアルである。激戦の凄まじさを如実に示している。

 3月7日、官軍諸隊は払暁一斉に攻撃機動を開始し、別働狙撃隊や砲兵隊の支援の下、集中攻撃をかけたが頑強に抵抗する薩軍の前に、力及ばず、いたずらに死傷者を増やすばかりであった。丘上の数火点の激しい争奪戦における戦闘は熾烈を極め、両軍の屍は各所に塁を築いた。夜に入ると薩軍は二俣原の官軍諸隊に対して一大逆襲を加え、台上の官軍を壊乱させて兵を収めている。

 3月9日、官軍は二俣の南、横平山の攻略を目指す。ここは薩軍の防衛線の中央部分を崩すために必要な場所であった。しかし、薩軍からの激しい銃撃と薩摩隼人の精悍な抜刀隊による白兵戦に押されるばかりであった官軍はついに警察官による抜刀隊を編成、14日からの攻撃に投入した。「われは官軍わが敵は、天地容れざる朝敵ぞ」と歌う軍歌「抜刀隊」はこの時の功を讃えたものだという。官軍抜刀隊はほとんどが戦死。この日だけで官軍の死傷者は321名に達した。15日、〇四〇〇に薩軍が官軍陣地に突入、横平山を占拠、死守せんとするも官軍側が一六〇〇に奪回した。17日には官軍は払暁より西側と正面から攻撃を開始した。だが、田原坂を抜くことはかなわなかった。死闘に次ぐ死闘は酸鼻を極めた。

 資料館周辺を歩いたが、当時を想像することは難しかった。どの辺りに陣地があったのか、どの斜面を官軍は登って突撃したのか、双方の抜刀隊が切り合ったのはどの辺りか、色々と想像をたくましくするのだが、よくわからない。この空間は確かにおびただしい銃弾が飛び交い、血潮が飛び散った所なのだろうが、今は砲声もなく、時折観光客を乗せてきたタクシーがのんびり通るだけである。ああ、隔世の感なり。

 3月20日雨、総攻撃の日、官軍は開戦以来最大の兵力を投入した。〇五〇〇、官軍主力は豪雨をついて出発、六〇〇〇先鋒諸隊は田原坂南部地区薩軍陣地に近迫、号砲三発を合図に吶喊とともに突撃前進、右翼は敵の第一火点を占領する。砲隊は機を失せず射程を延伸して後方陣地に制圧射撃を加えた。これによって七本(ななもと)地区の薩軍は壊乱した。しかし、正面の薩軍は頑強に奮闘し、容易には抜けず、官軍は十四連隊をもって背面攻撃を、さらには横平山の砲兵陣地からの猛砲撃を加え、一〇〇〇に漸く占領。3月4日から17日間に及ぶ死闘を制した。この間の官軍側の戦死者は2401名に上った。詳細は不明だが薩軍も多大の戦死者を出したことは想像に難くない。田原坂を抜いて南進した官軍だが、向坂(むこうざか)では薩軍の激しい抵抗に会い、追撃を阻止されている。道を屍が埋め、雨を集めて流れる凹道は鮮血のため紅に染まった。

 この戦いで官軍側の発した弾薬は一日平均32万発、時に62万発にも及んだという。銃弾同士が衝突した「かちあい弾」も多く発見されている。想像を絶する戦場である。

 今では観光地となった田原坂。しかし、ここで確かに近代国家の礎を築いた凄惨な戦いがあったのだ。官軍の不撓不屈の攻撃精神と豊富な兵站力が薩摩隼人の強靭な精神力に打ち勝ったというべきか。ラストサムライが最後の意地を見せたと言うべきか。それにしても両軍の兵士の敢闘精神には頭が下がる。平和ボケの私には何も言う資格はないが、彼らの死力を尽くした姿を想像するに胸が熱くなった。

雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂。合掌。