歴史を歩く(7)越すに越されぬ田原坂

明治10年3月4日、歩兵14連隊は田原坂を攻撃、薩軍は強固な陣地をもってこれに応戦した。征討軍である官軍は田原坂を抜けられず、向かい側の二俣台地を占領したにとどまった。ここに日本合戦史上、稀有な激戦と言われる田原坂攻防戦の幕が切って落とされた。…

歴史を歩く(6)葛城一言主神社と葛城古道

「古事記」(712年)によれば、雄略天皇が葛城山に登った時、天皇の一行と同様の格好をした一行に出会う。天皇が名を問うと、「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主之大神ぞ」と答えた。天皇は恐れか…

歴史を歩く(5)都心の富士塚を巡る

富士山の北東約18キロにある杓子山に登った。標高1597.6メートル。知る人ぞ知る富士の絶景ポイントである。五月晴れの下、遮る物のない真正面に雪を頂く富士山の全景を眺望できた。息を呑む美しさである。神々しいとでも言おうか。 私は富士山に二度登ってい…

歴史を歩く(4)土方歳三と五稜郭の戦い

札幌での会議が終わった翌日、私は函館に立ち寄った。土方歳三終焉の地をどうしても訪れたかったのである。亡くなった父は生前、栗塚旭氏が演ずるテレビの土方が好きだったが、その影響もあってか、私も栗塚土方のファンになった。 その後、新選組の故郷とも…

歴史を歩く(3)天下分け目の関ヶ原

06:26東京駅発新幹線ひかり501号新大阪行きに乗車、名古屋で東海道本線特別快速米原行きに乗り換えて09:19関ヶ原下車。いよいよ出陣の時。戦闘開始は慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)午前8時頃とされている。1時間ほど遅参いたしたか、急がねばと、改…

歴史を歩く(2)山の辺の道~石上神宮から大神神社へ~

五月晴れの日だった。京都から近鉄京都線の急行に乗って1時間、天理駅で下車する。駅前からほぼ真東に伸びている通りをまっすぐに歩いていくと、天理教関連の建物群が尽きるあたりから右前方の高台に鬱蒼とした森が見えてくる。石上神宮(いそのかみじんぐ…

歴史を歩く(1)水城跡から大宰府政庁跡へ

3年ほど前、仕事で福岡空港に降りた際、時間があったので、福岡から鹿児島本線に飛び乗った。駅を出てからしばらくしてやや左にカーブしたが、それからはほぼ一直線に福岡平野を南東方向に進む。20分ほど過ぎたであろうか、東の山地と西に見える台地がややせ…